2022年のご挨拶「勇気の影」になりたい。

株式会社ユウキノインは3年目を迎えます。

2020年1月15日に産声を上げた株式会社ユウキノインも
2022年に早いもので3年目を迎えます。

現在は20社を超えるお手伝い先のみなさまに支えられ、
コマあり自転車で走れるぐらいにはなってきたでしょうか?

通帳が5冊目になり、決算書が2冊になり。
ゼロからイチに、イチから次へと会社の軌跡が残るのは本当に嬉しく感謝を新たにするところです。

2期目から3期目。訪れた転機。

8月末決算の弊社、2021年9月1日より3期目に入りました。
2期目の2021年2月あたりから少し仕事量が溢れそうになり、5月頃から少しずつ見直しをはかりました。
そのきっかけが5月末頃の体の異変だったのですが、検査を続ける中で8月末の決算を迎えました。

その後の下半期は特に考える時間に費やしました。
きっかけは9月、セカンドオピニオンで受けた精密検査で見つかった肝臓の影。

何度かあった病院からの着信、会議などで出られず、
再度、かかってきたのはビデオミーティング中。

少し中断させてもらい、電話に出ると、こんなやり取りに。

看護師「先日のCTで別の所に影が見つかりまして・・・」
僕「え、どこですか?」
看護師「肝臓です」
僕「まじか・・・肝臓がんとかですかね?」
看護師「それは電話では言えない。とにかく来院してほしい」
僕「入院とか考えてたほうがいいですかね?」
看護師「先生と治療方針を相談してほしい。早期発見できたということで」
僕「(早期発見・・・完全にあかんやつやん)」

混乱する中でビデオミーティングに戻り、その時に掛けていただいた言葉に救われました。

時は9月の三連休、再診までの時間、もしかすると残された時間はわずかかもしれない。
会社のこと、資金のこと、これからの予定、できなかったこと、ぐるぐると頭の中が混乱しました。

急に世の中のこと全てがキラキラ見えて「普通でいること」がどれほど貴重で尊いことかと痛感しました。
現在進行系で闘病している友人にも「もしかしたら」と相談しました。
この時にも救われました。

連休中ほぼ眠れず病院に行くと待合室での時間も永遠のように感じました。

会社を起して2年目、僕にしては上出来なぐらいでしたから、
いつかなんか落とし穴があるぞと備えていたつもりでしたが、まさかこれか・・・と。
正直、堪えました。

しかし、診察室に入ると開口一番
医者「看護師の電話でかなり心配させてすみません。癌とか命に関わるものではないので」と。

その瞬間、全身のちからが抜けました。
ただ、念には念をということで別の科での診察、再検査を受けて、晴れて結果的には良性腫瘍とわかったのは10月の半ば。

看護師からは告げられないという決まりと、
言葉のチョイスが間違っていたということで起きたコントばりの看護師の勘違いによるもの。
そこに連休が挟まったことが逆に生きることについて真摯に向き合う時間をもらったような気がしました。

3度目の正直、2度あることは3度ある、石の上にも3年というように起業当時から「3」という言葉には特別の思いでいましたので、3期目、新しい期にはいった直後のこのことはとても想いが巡るものでしたし、割と真面目に終活を考えました。

会社に関わるIDパス、サブスクの課金リストをメモに残し、税理士に託せるようにということも行いました。

仮に大病として即死することはない。
だけど、死へ向かうことはより可視化される。

当時、大阪でも新規感染者が1,000人を超える日が続いた直後、毎日のように亡くなる方の報もありました。コロナで一気に重篤化した場合、そうした準備もできず、残された時間を意識することなく終わりを迎えることもあるわけで。

交通事故や、通り魔、大阪北新地の放火殺人も然り、いつ何時、自分が居なくなるかは本当にわからないんですよね。

ドッキリみたいな展開でしたけど、
そうした中で残された時間をどう生きるかということに向かい合えたことは本当に大きく、
今後に向けて貴重な経験にはなりました。

でも、12月25日に頭部の良性腫瘍の手術をしました。
手術自体は局所麻酔で1時間半ほどでしたが、クリスマスに!手術て!と、最後の最後にオチがついたことが、また自分らしいなと思うのでした。

やらないことを決める。

これが大事だなとつくづく思いました。
1日24時間、1ヵ月約30日。どう考えても1人がこれ以上稼働することは無理。
ロボットですらその時間を伸ばすことは不可能で。
人なら人数を増やすか、RPAなどで自動化するか。
ロボットですら処理能力を上げるか台数を増やすか。でもそれを使うのは人。
最後は人と人なわけです。

合う人、合わない人もいる。
会社員なら会社の命令で合わない人、嫌な案件もやらざるを得ない場合も多々。
そんな事から解き放たれたいこともあったのに、嫌なことをわざわざ抱える必要もないんじゃないか、と。

万人を納得させることが難しいのはコロナ禍をみても明らか。
万人に好かれるなんてそもそも無理なのに、なぜ八方美人でいたのか。
そうか嫌われることを恐れていたんだな、と思うようになりました。

やらないことを決める。辞めることを厭わない。

そうしていかないと自分がもたなくなる、と思いました。

中学時代に集団無視などのいじめを経験した僕は多分人付き合いが苦手です。
正直、他人が怖いです。HSP( Highly Sensitive Person / とても敏感な人 )診断もめちゃくちゃ高めです。
めちゃくちゃ気にしぃで、すぐに言葉の裏を考えたりして、ただでさえ面倒くさい性格なのに、
自分が無理することをこれ以上増やしてどうなるんだとも考えるようになりました。

それでも、一緒に仕事をしてくれる方たちがいて、仲間がいて。
そんな周囲の方たちの役に立ちたい。それが自分の一番の魂のガソリンのような気がします。

そうして止めたことの1つがFacebookへの投稿。
以前は毎日のようにポストをしていましたが、昨年は数えるほどしかせず、今はほぼ投稿をしません。

ひとつはHSPゆえのしんどさです。
自分が何者でもない僕は、Facebookの投稿を観るのがしんどくなりました。
反応に困るコメント、受け流せないコメントに疲れた事も重なりました。
何より、誇れることなどなにもない僕にすれば、自分のことを凄い!と言える人たちが羨ましいようでなんともな気持ちにもなりました。

コロナ禍もあり、普段は飲み会などで語られていたことの行く場所がなくなり、SNSがその披露の場にもなったとも思います。
そして、真偽が定かではない情報を拡散する方、ちょっと直視できないな、という偏重した意見も苦しくなりました。自分が傷つくこともありました。

そうして、Messengerの連絡手段は残しても、投稿機能を使うことはほぼしなくなりました。
でも、止めてみると実に気楽になりました。

Instagramやtiktokの登録者が増える中、Facebookだけが数年の内に国内で200万ユーザー減少したこともわかるような気もしました。
twitterは2017年以降のデータがないのでわかりませんが、アカウント数だけでは増えていると思います。

「嫌なら見るな」をしてみることも大事なことだなぁと思いました。

自分らしく生きること。

アトリエの近く、新大阪駅の跨線橋。考え事をするのに最適な場所です。

自分ごとながら、かなり面倒くさい人間だなぁとつくづく思います。
そんな自分に週4ぐらいで凹んでいます。

そして相変わらずの浅学非才。
まだまだ誇るべきことも何もない自分が、それでも3年も会社を続けてこられたのは周囲の方々のおかげ。

そんな面倒くさい自分のことを

「居てくれてよかった」
「おかげでいい感じになった」
「ECが伸びてなければコロナで会社潰れてたかも」

そんな風に言ってくださる方々から栄養をいただく毎日です。

それでもSEOは好きだけど、SEOに強いとかSEOに詳しいなどとは口が裂けても言えないなと改めて思いますし、好きだけど全くわかりません。むしろどんどんわからなくなっています。
素直にSEOに強い詳しいと言える方は凄いなと思います。

その時その時の事象を大事に、視て、看て、これまでと変わらず「看視」を続けていければなと思います。

お手伝い、伴走する企業や皆さんの後ろにそっとついている
「勇気の影=ユウキノイン」であろうと思いました。
会社の名前に新しい意味を足して、2022年もボチボチ歩いていこうと思います。

無くてもいいかもしれないけど、無いと困る。あると嬉しい。
たとえば、食卓の塩コショウ、わさび、七味、醤油のような、そんな存在でありたいと思います。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

この記事を書いた人

酒匂雄二(さこっち)

株式会社ユウキノイン代表取締役。大阪府吹田市の生まれ育ち。大阪・関西を中心に中小企業、ECサイト(ネットショップ)のSEO、検索対策、WEB集客、SNS活用、コンテンツマーケティング、クラウドファンディング活用を支援しています。EC講座の講師やセミナー・イベント登壇もしています。
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